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皆さんに考えてもらいたいこと

はじめに

Simple-HP を製作していた2006年、『いじめ』による自殺の問題が相次いで報道されました。 もちろん2006年だけが特別だったわけではありません。 それまでにも理不尽な『いじめ』を受けて苦しんでいた人、また『いじめ』を苦に自らの命を絶った人がたくさんいます。

Simple-HP の当初の活動方針は、災害被災者や高齢者を支援することでした。しかし、2006年に異常多発した『いじめ問題』によって大きくその方針を見直し、子ども達を、そして育児にがんばる母親や父親を支援するサイトに変更しました。

どうすれば良いのか―

答えが出せるとは思っていません。 しかし、いじめの"現場"にいる学生や教職員の方からも直接話を伺(うかが)い、この問題に真正面から取り組んでいこうと思っています。

教育の目的って?

いじめ の問題を考える時、やはり教育の問題をそこから切り離して考えることは出来ません。 ここで皆さんに、『教育とは何か』ということを考えて欲しいのです。 現在『教育』を受けている人にそんなことを尋ねることは愚問(ぐもん=おろかな質問)かもしれませんが、是非一度考えてみてください。

教育 とは"教える"という文字と"育てる"という二文字で成り立っています。
子ども達に何を教え、子供たちの何を育てることが『教育』なのか…。
『教育』と言うと、学校で教えている教科、特に中学、高校、大学の入学試験で必須となっている国語、数学、理科、社会、英語といった受験科目 を想像する人が多いのではないかと思います。 そして、おそらく「なぜ国語や数学を勉強するの?」と尋ねれば、「学校の教育課程になっているから」とか「受験科目だから」と答える人が多いでしょう。 教える側の先生の中にも「はい、ここは重要ですよ。 テストに出るところですからね、ちゃんと押さえておくように」と言う言葉を口癖に教えている方もいらっしゃいますから、皆さんがそう答えるのも無理はありません。

子ども を教育する目的も、各教科を勉強する目的もちゃんとあるのに、それらがしっかり説明されていないような気がします。
文部科学省のホームページ を見ても、"学習指導要領"として各教科の『目標』は記載されているものの、「なぜ国語を勉強するのか」、「なぜ数学を勉強するのか」といった各教科を学ぶ『目的』については見つけることが出来ませんでした。(⇒ 私の探し方に問題があるのだと思いますが、もう少し見つけ易いところには掲載していただければと思います。 )

人間 が行うコトには必ず『目的』があります。 その『目的』が明確になっていなければ、物事の本質 (ほんしつ)は見えないんですよね。 そして、物事の本質が見えなければ、人は誤った方向に暴走してしまいます。 「受験科目を教えることが教育」、「他の子よりも1点でも高い点を取れば良い子」という考え方が教育のベースとなってしまっているのは、その悪い例の一つであるように感じます。

『空き地』vs『テレビゲーム』

こんなこと を書いている私も「他の子に負けるな」で教育され、他の子よりも良い学校に入り、他の子よりも良い会社に就職し高い給料をもらうことを"良し"として育ちました。
そして、そうした教育を受けた私達大人は、「自分さえ良ければいい」という自己中心社会を築いてしまったような気がします。

テレビ や雑誌を見ても お金 を基準に人や企業を「勝ち組」「負け組」に分け、何でも"金"、"金"と、お金ベースで物事を考える社会。
勉強して良い会社に入り高い給料さえもらえば「勝ち組」なんですから、他の人がどうであろうと構わないと考えてしまう…。

その結果、 私達大人は子ども達の遊び場である空き地や原っぱさえも奪い、そこにオフィスビルやマンションを建てました。 理由は「土地を有効利用するため」です。 お金を生まない空き地や原っぱは「土地を有効利用していない」ことなんですね。 そして遊び場を奪った後に普及したのがテレビゲームです。
まるで、空き地はお金を生まないからNGだけど、テレビゲームの普及はお金を生むからOKと言っているかのようですよね。 もちろんテレビゲームを作っている会社は「ゲームを通して家族や友達とコミュニケーションを深めて欲しい」という意図でゲームソフトを開発・販売しています。 しかし、そうした製作者の意図は上手く伝わらず、テレビゲームの普及は空き地や原っぱの減少と重なって、子どもの遊び方だけでなく、ものの考え方まで大きく影響してしまっているように思われます。

友達 = 対戦相手 もしかしてパパも!?

別頁 でも記載しましたが、Simple-HP 独自で公立小・中学校で長いキャリアを持つ教員の方々に取材をさせていただきました。 「昔の子どもと今の子どもで何が一番違いますか」という質問に対し、多くの先生方が口を揃えておっしゃったのが、会話の中身と語彙(ごい)の幼稚化、そして人間としての希薄化(きはくか:気持ちや意欲、愛情などが薄まること)でした。 その理由として挙がったのが、「今の子は友達と会話をしなくても遊べるものがたくさんあるから」とのこと。
友達なんて"テレビゲームの対戦相手"や"ゲームソフトの貸し借り相手"でしかなく、ゲームソフトを持っていなければ友達じゃないと平気で言う子もいるそうです。

中学生 、高校生である皆さんは、これを読んでどう感じますか?
「大人が悪い」と思う人も多いでしょうね。 しかし、皆さんには「ズルい」と思われるかも知れませんが、私は、『そうした大人たちを作ってしまった"教育"のせい』だと感じます。 教育を誤れば、誤った思考の人間を作ってしまう。 "教育"とは、それくらい大きなモノなのです。 (ここで私が言っている『教育』とは、"学校教育"だけではなく、"家庭教育"や"社会教育"も含んでいます。 )

かわぐちかいじさん の作品である『沈黙の艦隊』の中に、「昔の日本の蔵は、金属のカギではなく、一枚の紙を貼ることで戸締りをしていた」という一節があります。 「頑丈なカギをつけて蔵に守る」という発想ではなく、「蔵の中に入ろうとする泥棒の良心に問いかける」という発想なんですよね。「本当に盗んで良いのですか」と。 私はそうした時代が日本には本当にあったのだと思います。
親や学校の先生、社会から学んだ『教え』が健全だった時代だからこそ、紙一枚が十分な抑止力(泥棒する行動を抑(おさ)える力)になったのでしょう。
しかし今は…
残念ながら、『カギは二重三重に掛けるのが当たり前』の世の中になってしまいました。 もちろん国際化の流れのせいでもあることは分かっていますが、悲しいことだと感じます。

『獲ったどぉ〜』の日常生活

人間 がもし野生だったら、30年くらいしか生きられないそうです。
"野生"とは簡単に言えばお金を使わない生活です。 今日食べるものを自分で探し、寒ければ動物の皮を剥いで着るものを自分で作り、病気になれば自分で薬草を探すといった生活。 しかし、人間は『知恵』を働かせて、そうした作業を分担することに成功しました。 農作物を作る人、魚を漁る人、洋服を作る人、家を建てる人、病気を治す人といった風に。 人間は、お互いに助け合い、協力し合う『社会』という仕組みを築いたことによって、本来の寿命の2倍も3倍も長く生きられるようになったのです。 スゴいと思いませんか? 

ですので 、「俺は独りで生きていくぜ」と豪語することは、よゐこ の濱口優(はまぐち まさる)さんがテレビ番組の中でやっているように、極寒の季節でも海に潜り、「獲ったどぉ〜」と叫んで魚を獲り、自分で火をおこし魚を調理して食べる生活を一生続けることなのです。
そんな生活は無人島や密林の中で暮らさない限り難しいかもしれませんね(笑)。 蛇口をひねって水道の水を使い、買ってきた服を着て生活し、食べ物や生活必需品をスーパーやコンビニで調達している以上、私達は『社会』の恩恵を受けて生活しているのです。

そして『社会』の恩恵を受けて暮らしているということは、裏を返せば「大人になったら社会の一員として何らかの貢献をしなければならない」ということになります
そう、「なぜ大人になったら仕事をするのか」と聞かれたら、「お金を稼ぐ為」とか「いい暮らしをするため」といった自己中心的な理由の前に、「社会の一員だから」とか「社会に貢献するため」といった理由が来るのです。 だから学校を卒業して働き出したら社会人 という言い方をするのですよね。

勉強の目的

でも 残念ながらこうしたことを家庭でも学校でも子ども達に教えてはいないようです。 「人は互いに助け合い、協力し合って生きている」という最も基本的なことを教えず、国語や数学といった受験科目を教えることを教育としてしまっています。 2006年に多くの高校が必須科目の履修不足(りしゅうぶそく)で問題になったのは、まさにこのことを反映しているのではないでしょうか。 教育の目的を履き違えて(=誤って)しまい、『受験科目を教えることが教育』になっているような気がします。

もちろん国語 には国語を勉強する立派な目的があります。
人間は唯一"言葉"を操る(あやつる)動物であり、言葉によって意思疎通(= コミュニケーション)をしています。 自分が育つ国・地域で使用されている言語をベースに、(1)コミュニケーションで使用する語彙(ごい)を増やし、(2)自分の意思や考えをより正確に相手に伝える力(作文能力・表現力)を高めること、また(3)第三者(相手)が言葉や文章で発したメッセージを理解する力(理解力・読解力)を付けることが国語の勉強です。 社会の中でお互い助け合って生きていく為に、より緻密(ちみつ:より細かい)なコミュニケーションを取る能力を身につけることが国語を勉強する目的なのですよね。

数学は"論理的思考"を学ぶ為の学問です。
分かり易い例をあげると、6匹の猿に1枚のピザをあげたら奪い合いが始まりますよね。 でも数学を身につければ「ピザ全体の360度を6等分すれば一枚当たり60度だ」と論理的にピザを均等に分け、争いを防ぐことが出来ます。
「体の大きさによって食べる量が違う」と言えば、体重比や身長比を元にピザを分けることだって出来る。 数学 とはそうした論理的思考を養うことで人間の生活に役立てることが目的の学問です。

理科は、地上に存在する物質の性質、地上で機能している様々な現象や法則を知り、それらを利用することで私たちの生活をより快適でより安全なものにしようとする学問です。

そして歴史 は、一動物だった人間が今のような"社会"を築き上げるまでの過程を学ぶ学問です。 人間は他の動物以上に"支配欲"を持っています。 「あの領土が欲しい」、「あいつは俺に従わない」となれば、「力でやっつけちゃえ」という戦争を私達人間は繰り返してきました。 高度な『知恵』を持つ人間が、その『知恵』を何に使ってきたかと言えば、「いかに凄い武器を作って相手をやっつけるか」だったんですよね。 でも、少しずつ人はその『知恵』を平和の為に使うようになっていったことも歴史 から学ぶことができます。

それともう一つ。 人は経験 から物事を学習し、同じ過ちは犯さないようにしたり、より良い選択をしたりするようになります。 熱いやかんを触って火傷(ヤケド)したら、二度と熱いやかんを直接触ったりはしませんよね(笑)。
ただし、皆さんが自分の人生の中で実際に経験できることは限られています。 だから歴史を勉強することで自分の経験を"補完"するのです。

サッカーのジャパン代表監督であるオシム監督が、内戦後のサラエボに帰った時、その惨状を見て、「この戦争を忘れてはならない。 忘れてしまった人間はまた戦争を繰返す」と言ったのは、まさに歴史を勉強することの『本質』だと私は思います。 その『本質』が分かっていないと、「関が原の戦いは1600年」「1853年に黒船で浦賀に来航して日本に開国を迫ったのはペリー提督」なんてことを暗記することが「歴史の勉強」だと勘違いしてしまう。

"感謝すべきこと"⇒"当たり前のこと"ヘ

国語 や数学、理科、社会といった学問は、 人間社会をより平和でより豊かにする為に 勉強するものなんですね。 試験の為に 勉強するのではない(笑)。 そして、そういった学問と同様に、「人はお互いに助け合って生きている」ということも『教育』として子ども達に教えなければいけないのです。 。 教育の"育"とは、子ども達に健全な精神(="思考・考え方") を育てることを表しているのだと思います。

「そんなこと教えなくたって常識でわかるだろう」

と思う方もいるかもしれませんね。 でも、それは違います。
今は、「助け合って生きている」なんて 意識 しなければ気づかない世の中になっています。
身近な例を挙げれば、夜暗くなって電気をつけた時に「ありがたいことだ」なんて感謝をする人はいませんよね。 電車に乗った時も「えらい助かるわ〜」とは感じません。 電気や電車が普及する前の苦労を知らなければ、それらが機能することは、もはや「感謝すべきこと」ではなく、「当たり前のこと」なのです。

本来 「感謝すべきこと」が、今はどんどん「当たり前のこと」になっています。 そして今では家庭の中でも、親が会社に行って家族の生活費を稼ぐことも、朝ごはんや夕飯を作って食べさせることも、子どもの服を洗濯して畳んであげることも、お小遣いをあげることも、み〜んな「当たり前のこと」になってしまっています。 「当たり前のこと」なら感謝の気持ちなど抱くはずがなく、「助け合って生きてる」なんて気づくはずがないのですよね。

「かねてより親の教えの秋はきて 今日の門出ぞ 我はうれしき」

これ は、戊辰戦争(1868年)で散った会津藩白虎隊剣士の一人である津川喜代美(高橋誠八の三男)という青年が、出陣前に読んだ和歌です。 享年16歳という皆さんと変わらない歳の初々しい青年。
"これまで親から学んできたことがようやく実を結ぶ季節となり、一人前の大人として出発できることがうれしい"という気持ちを歌ったものなのでしょう。
これが140年前の16歳 の国語力だったと思うと、当時の教育レベルがいかに高いものであったか感心すると同時に、私達大人が今皆さんにしている教育に対して複雑な感情を持ってしまいます。

また こうした国語力のことだけでなく、出陣前に親に対して感謝の気持ちを歌ったという当時の家族間の深い絆(きずな)にも脱帽(だつぼう:頭が下がる思いであること)します。 親が子を愛して育て、子はそれをちゃんと理解し、親に感謝して育つ。私はここで 家族の"理想論"を書いているのではありません。 日本には、こうした美しい時代がちゃんと存在していたのです。
しかし、残念ながら『必須科目の履修不足』が社会問題となるような受験第一主義の教育では、「人を蹴落とす」ことしか考えない希薄な人間を育てるだけで、こうした時代は二度と来ないような気がしてなりません。

家事もお勉強?

人間 が成長していく上で、ある程度の"競争"は必要かもしれません。 でもやはり、人が人として生きる上で、そのベースには『助け合って生きている』ということを理解しなければならないと思います。
では『助け合って生きている』という思いやりの気持ちをどうやって子ども達に教育していけば良いのでしょうか?
ヒトはそういったことに知恵 を使うべきなのでしょうね。
お金儲けの為だけじゃない(笑)。

私達 はまず家庭という、一番小さな社会で様々なことを学びます。 それが「家庭教育」と呼ばれるものです。 朝起きたら「おはよう」と朝の挨拶をし、「いただきます」と言って朝ごはんを食べる。 (おじいちゃん、おばあちゃんの時代は、「箸(はし)取らば、天(あま)土(つち)御世(みよ)の御恵み(おんめぐみ)、父と母の恩を味わえ。 いただきます」と言ったそうです。 昔は身の周りの様々なものに対して深い"感謝"の気持ちを持ってごはんを食べていたのですね。 )

そして 、食べ終わったら食器は台所に持っていく、自分で服を着替え、「行ってきます」と言って学校に向かいます。 学校からおうちに帰ったら洗濯物を取り込んでたたむ。 皆さんの中にはお母さんの代わりにごはんを炊いて夕飯の支度をしている人もいるかもしれません。 食器を洗ったり、お風呂を洗ったりしている子もいるでしょう。 家庭という小さな社会の中でもお互いに協力し合って生活しているのですよね。 それが助け合いだと思いませんか? でも今は、「そんなことはいいから学校の勉強をしなさい」と平気で言ってしまう親がいます。 逆に学校から帰ってきたらテレビゲームのスイッチを付け、親が帰ってきたら慌ててゲームのスイッチを消して、宿題をしているフリをしている子もいます。 宿題さえしていれば怒られないという環境を親が創ってしまっています。 こんな家庭では"助け合いの気持ち"なんて育たないと思いませんか。 家族全員がバラバラになっていくだけ。 しかし、残念ながら「家族はみんな助け合って生活しているんだよ」ということを子どもに教えない家庭が、今は少なくありません。
「そんなことは奇麗ごとで、現実はもっと厳しいんだからやっぱり子どもは勉強しなくちゃいけない」と思う方もいるでしょう。 そんな方には是非、次の本を読んでもらえたらと思います。

『隣の子どもはどうやって東大に行ったのか』(講談社)

テレビのニュースで取り上げられ、私も本屋で買って読んだのですが、正直驚きました。 というより嬉しかったですね、とても。
はじめは、『どうせ、子どもの英才教育 の方法が書かれた本だろう』と思っていたのですが、読んでみると素晴らしいことがたくさん書かれていました。
具体的な内容についてはここでは触れませんが、是非多くの人に読んでもらえたと思います。
(※でも、だからと言って、将来自分が親になった時「子どもを東大に行かせるためにお手伝いをやらせよう」という風には考えないで下さいね。)

30人31脚競争

もちろん 家庭だけがそうした"助け合いの気持ち"を養う場ではありません。 学校のお掃除だって、クラブ活動だってそうした場なのです。 複数の人間が一つのことを一緒にするは、そこに"助け合い・協力"が必要になりますからね。

毎年 小学校の子供たちが挑戦する 30人31脚 という企画番組をテレビで見たことあるでしょうか? 30人の子どもたちが横一列に並んで隣同士と足を結び、50Mを走ってタイムを競う競争です。

チーム を組む30人は男女が入り混じったメンバーで、体格差もあり、各個人の50Mのタイムも違います。 そんな子ども達が、共に息を合わせて50mを走り抜けます。もちろん練習中はケンカもします。 一人が転べば30人全員転ぶわけですから、「おまえ何やってるんだよー」、「俺じゃねーよ」と言い争う。
でも、それを繰り返しているうちに皆気づくのです。
「ケンカしても50Mのタイムが早くなるわけじゃない」と。

それよりも どうしたら転ばずに50Mを早く走れるかって考えるようになる。 これも助け合いだし、たとえ全国大会に行けなかったとしても、この経験から子ども達が学ぶことはとても大きいと感じます。

新しい価値基準

一人 一人の学力の向上は、皆さん個人にとってもプラスですし、社会利益にも直接つながるものですから、今皆さんがしている勉強に無駄なモノなんて何一つありません。 その点は誤解しないでくださいね。
でも、勉強の目的が歪(ゆが)んでしまっていること、そして教育の一つとして最も大切な「健全な精神」を育てるという部分が抜け落ちてしまっていることに大きな疑問を感じます。

いじめ の問題を初めとして、幼児虐待や援助交際といった子どもを直接巻き込む社会問題も、また、たばこのポイ捨て、家庭ごみ・産業廃棄物の不法投棄、飲酒運転、公費の不正利用、図書館の本の切り抜きなどの大人社会のモラル(=道徳)の低下に関わる社会問題も、実は別々の問題ではなく、「自分さえ良ければいい」という自分勝手な人間を育ててしまう不完全な『教育』に起因しているのでないかと感じます。

皆さん へのこのメッセージ は、物事を考える『きっかけ』にしかならないことは理解しています。 でも『きっかけ』さえあれば、人は意識して物事を考えるようになる。今「普通」だとか「あたり前」だと思っていることが本当に「普通」「あたり前」なのだろうかと疑って見ることができるようになる。 私達大人よりずっと純粋で、ずっと柔軟な思考を持っている皆さんなら、モノゴトをもっと冷静に客観的に見ることができると思っています。

10年後 、20年後、皆さんはやがて社会を動かす中心的な人材になっていきます。 子どもを生んでお父さん、お母さんになっていたり、あるいは学校の先生になっている人もいるでしょう。 「子ども達に何を教えれば良いのだろう」と考える時が必ず皆さんにもやってきます。
教育を誤れば、間違った思考を持った人間を育ててしまい、間違った思考を持った人間は間違った社会を創ってしまいます。 それくらい『教育』は大切なものなんですよね。
「瑠璃の島」「Drコトー診療所」「ALWAYS三丁目の夕日」「武士の一分」「東京タワー」といった人間愛や家族愛を描いたドラマや映画は、その作品を通して私達人間にとって大切なものは何であるのかを訴えてくれているような気がします。

"お金が全てじゃない、人間にはもっと大切なものがあるはず…"

しかし、残念ながら私達大人はそうした作品に心動かされながらも、未だにお金以外の価値基準を見つけられずにいます。 それが、今の私達大人の『知恵』の限界なのかもしれません。 新しい尺度を見つけるのは、きっと次の時代を担う皆さんなのだと思います。

原っぱを買う!?

したがって、Simple-HPはまずはお金の世界で勝負していきます。 慈善(じぜん)事業として寄付を集めるのではなく、ビジネスとしてもお金を稼いでいきます。
どれだけのお金を稼げるかは分かりません。
そして、集めたお金で空き地や原っぱを取り戻すことも真面目に考えています。

すごい と思いませんか? お金集めて土地を買い、その土地を(お金を生まない)空き地や原っぱにする…。 頭おかしいって思う人もいるでしょうね。
でも「どうしてそんな馬鹿 なことするの?」と聞かれたらこう答えます。

"そこにはお金では計れない価値があると思うから"

その価値を見つけてくれるのはきっと皆さんだと思います。

子ども は外で走り回ってエネルギーを発散させないといけないんですよね。 テレビゲームなんかじゃ十分に発散できない。 発散できないエネルギー は時に危険な方向に働いてしまいます。
それが校内暴力になったり、いじめになったり、ホームレスの襲撃(しゅうげき)になったり。
だからそうした遊び場を取り戻さなければいけないと考えています。
もちろんこれは私達の活動のほんの一部です。 まだまだやろうとしていることはたくさんあります。

Simple-HP は、10人にもほど遠いごくわずかな人数で活動しています。
"そんなちっぽけなグループで何が出来るのか?"
いやいや、何だって出来ます。 私達人間にはその為に『知恵』があるのです。 "夢"や"情熱"があれば『知恵』が働く。そしてその『知恵』は私達の可能性を無限大に広げてくれます。

皆さんへのお願い

是非 皆さんに知っていただきたいコトがあります。
それは、『お金』は、"私達の生活を豊かにしてくれる大切なもの"であると同時に、"人の心を卑(いや)しく、貧しくさせてしまう力をも持っている"ということです。
良い学校に入り、良い会社に入ってお金を稼ぐようになり、豪華なおうちに住み、高価な服を着て周りから"セレブ"と呼ばれるようになっても、このことは忘れないで下さいね。人をキラキラさせるものは宝石やお金ではなく、夢や情熱といった目には見えないものです。

それから、『いじめ』に関して皆さんへ4つのお願いがあります。

一つ目 のお願いは、いじめを克服した人、いじめを解消した学校・生徒会・クラスへのお願いです。 今いじめで苦しんでいる人は、今救わなければならないと考えています。 皆さんが「どうやっていじめを克服・解消したか」を是非Simple-HPにお知らせください。 その内容は、《いじめ克服・予防・解消体験談》 に掲載し、24時間誰もがいつでも閲覧できるようにしたいと思っています。

二つ目は、今いじめを受けている人へのお願いです。
「人は助け合って生きている」ということをここまでずっと書いてきました。 誰も独りでは生きられない。 今受けているいじめに対し、「自分独りで何とかしなければ…」とか、「自分さえ我慢すれば…」などとと考えないで下さい。 お父さんやお母さん、あるいは学校の先生に、今自分に起きていることを相談して下さい。 自分が思っている以上に親や先生はあなたのことを考えています。

『夜明け前が一番暗い闇』だということを忘れないで下さいね。今の苦しみから開放される時が早くやって来るよう、Simple-HPは《いじめ克服体験談》《子ども相談室・ヘルプ》をさらに充実させ、これからも全力でいじめ問題に取り組んで参ります。

三つ目は、現在いじめをしている人に。
ヒトは、生物学的に言えば、約4兆の細胞によって造られているそうです。
1つ1つの細胞が働き、相互に作用し合うことで、私達は手足を自由に動かすだけでなく、自分の好きな音楽を聞いて楽しんだり、映画やドラマを見て感動したり、友達と会話して笑ったりしています。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感機能を働かせるだけでなく、 "夢"や"情熱"といった目に見えないものを持ち、それがその人の"生きるエネルギー"になっています。 『生きてる』って、それ自体が奇跡 なんですよね。

もちろん、あなたもその奇跡の一人です。

自分が持っている機能とエネルギーをあなたは何に使いますか。
ヒトを傷つけることではないはず。もっと違うコトことに使うべきだとあなたは気付いているはずです。
「何に使うか…」、それを考えることをあきらめないで下さいね。

そして四つ目は、最後まで読んでくれた皆さんへのお願いです。
「お互いを思いやり、助け合う気持ちを子ども達に育てなければ『いじめ』はなくならない」とSimple-HPは考えています。 こうした気持ちは、「自然に身に付くもの」ではなく、「学ぶもの」なのです。
『仕事だから仕方ないだろ』、『何で私ばかりに家のことを押し付けるの』などとケンカばかりしている両親の下では子どもにそうした気持ちは育ちません。
ケンカが絶えない家庭の中で育った子どもは、人と争うコト・人をけなすコトを「当たり前のこと」と考えてしまうようになります。 また、「うちの会社の課長は…」「隣の奥さんは…」と、人の悪口ばかり言っている両親に育てられれば、子どもも人の悪口を言うのが常となってしまいます。子どもは"親の鏡"なんですよね。 いじめをする子は"加害者"とか"悪い奴"と思われがちなのですが、実は家庭における"被害者"であるケースがとても多いのです。

どうしたら良いのか…

Simple-HP はスタッフ全員で真剣にそのことを考えていきます。少なくとも皆さんが結婚するまでは私達が全力で頑張ります。

その代わり、皆さんが大きくなって結婚をしたら、自分の奥さんのことを、自分の旦那さんのことを大切にしてあげてくださいそして、子どもが出来たら二人で仲良く一緒に 育児をしてください。 育児はお母さん、あるいはお父さん独りで出来るものではありません。夫婦で協力し、助け合うことがとても大切です。
皆さんが会社の中で偉くなり、課長や部長、あるいは社長になったら、会社の利益を増やすことだけでなく、社員の家族のことも考えられるような上司になってください。 育児には会社の協力も絶対に必要なんですよね。お父さん、お母さんだけが頑張っても、どうしても限界があるのです。
小さい子どもを持つ社員には長時間の残業や長期出張、単身赴任をさせないように努力し、穴の空いた部分をどうやってカバーすれば会社の生産性を維持できるか、そこに皆さんの『知恵』を使って下さい。家族が家族として機能するには、そうした上司の存在も不可欠です。

人は皆助け合って生きています。 会社と家族も、お互いに助け合って生きているのだということを忘れないでいただけたらなと思います。

これがSimple-HPから皆さんへのメッセージです。

Simple-HPスタッフ 一同

 
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