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ムヒカ大統領のスピーチ ≪社会・環境≫ 埼玉 Staff mizuki 2013.12.19

国民からはエル・ペペという愛称で親しまれているウルグアイのホセ・ムヒカ大統領。

大統領の月給は12500米ドル(約123万円)だそうですが、そのほとんどを寄付し、10分の1程度の給料で暮らしているそうです。

郊外の小さな家に住み、

個人資産はフォルクス・ワーゲン1台だけ。

「世界で最も貧しい大統領」として有名なのだそうです。

そのムヒカ大統領が、2012年の地球サミットの最後の演説者として壇上に上りました。

そのスピーチは、全世界が真に受け止めて考えねばならない内容であるにもかかわらず、日本のメディアに取り上げられることはありませんでした。

そのことを危惧した日系ユースネットワーク事務局長の打村明さんが日本語に翻訳した文がネット上に公開されておりましたので、皆様に紹介します。

***【ムヒカ大統領のスピーチ】***

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

私をここに招いてくれたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。

そして、この壇上に立った全てのプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と
世界の貧困をなくすことでした。

しかし、それらの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を
全インド人が持てばこの地球はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方でします。

西洋の富裕社会が日々行っている消費を、世界の7-80億人
の人が行えるほどの原料がこの地球にあるでしょうか?

可能ですか?

それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのでしょう?

この無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのは、
マーケットエコノミーの子供、あるいは資本主義の子供である私たちです。

マーケットが経済社会を造り、マーケットのグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会を作ったのではないでしょうか。

私たちは経済のグローバリゼーションをコントロールしていると
言えるでしょうか?

逆にグローバリゼーションに私たちがコントロールされている
のではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で

「みんなで世界を良くしていこう」

というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?

どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を
批判するためのものではありません。

その逆です。

我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではなく、
政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力を
コントロールしきれていません。

逆に、人類がこの消費社会にコントロールされています。

私たちは発展するために生まれてきたのではなく、
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。

人生は短い。すぐ目の前を過ぎてしまいます。

命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。

消費が社会のモーターの世界では私たちは消費を
ひたすら早く多くしなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば
不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるために、商品の寿命を縮め、
できるだけ多くのモノを売らなければならなくなりました。

事実、10万時間使用可能な電球を作る技術があるのに、
1000時間しか持たない電球しか作らない社会にいます。

長寿命の電球は電球の消費を押さえてしまうため、
"マーケットに良くない"からです。

人がもっと働くため、もっと売るために
「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。

悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。

これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を
別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言いません。

マーケットをコントロールしなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

エピクロス、セネカ、アイマラ民族などの昔の賢者たちは
こんなことを言っています

「貧しい人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、
無限の欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオの地球サミット会議の決議や会合に
そういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思います

が、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを
理解してほしいのです。

根本的な問題は私たちが造った社会モデルそのもの。

そして、改めて見直さなければならないのは
私たちの生活スタイルだということ...。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。

私の国には300万人ほどの国民しかいません。

でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはいます。

ヤギも800万から1000万頭ほどいます。

私の国は食べ物の輸出国です。

こんな小さい国なのに領土の90%が資源という恵まれた国です。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。

そして今では6時間労働を獲得した人もいます。

しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、
結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?

バイク、車、などのローンを支払わないといけないからです。

毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、
いつの間にか私のような老人になっているのです。

幸福な人生は一瞬で過ぎ去ってしまいます。

私は自分にこんな質問を投げかけます。

これが人類の運命なのか?

私の言いたいことはとてもシンプルなものですよ。

発展は幸福を阻害するものであってはいけない。

発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはならない。

愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、
そして必要最低限のものを持つこと。

これらが全てです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。

環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の
一番大切な要素であるということを忘れてはならないのです。

ありがとうございました。

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